タイヤル族はかつて高砂族とよばれ、数千年前の昔より台湾の中心山脈地帯にわたって暮らしている先住民族の一つである。現在、現代社会に暮らす彼らは、かつては出草(首狩りに出かけること)と文身(入れ墨)の習慣を持ち、昭和10年頃までは勇猛な民族として平地の現地人や日本人に恐れられてきた。
1885年、台湾が日本植民地に組み込まれると日本政府は武力鎮圧と懐柔策を併用して原住民の順撫と統治を図ろうとした。大規模な原住民の抵抗としては霧社事件(1930-1931)があったが、抵抗運動はこれをピークに収束に向かう。しかし苗栗県泰安郷のタイヤル族八村(北勢八社)は日本に対して最後まで激しく抵抗を続ける。その村落のひとつが天狗部落(Sahe’ya部落)である。
日本政府は飛行機爆撃、砲台からの砲撃、理蕃道路(山中に設けた軍事作戦路)からの歩兵戦で平定を図るも一向に効果が上がらなかった。そこで日本に帰順したタイヤル族を送って説得を行ったり、警察官を現地に派遣し、医療支援、往診、農業指導、物資提供などの懐柔策を実施した結果、昭和10年(1935)以降、天狗部落を含む北勢八社は日本に帰順する。
これ以降、天狗部落は狩猟生活から半狩半農の生活へと移行すると同時に、国民教育が推し進められ、蕃童教育所を通じて日本語教育が実施されるようになった。また出草と顔面への文身の習慣は禁止された。
日本敗戦後、中華民国による統治のもと、タイヤル族は平地人と同じ現代生活に組み込まれたが、その一方で伝統文化の喪失や母語話者の減少が深刻な問題になってきた。近年こうした状況に危機感を持った政府は、福佬語・客家語・原住民語の教育や郷土文化教育を推進し、テレビでの母語チャンネル開設を後押しているが、国語(Mandarin)優勢の社会にあっては母語話者減少には容易に歯止めがかからない状況である。
ここに記載する情報は主に同部落出身であり、本サイト開設者の親友でもあるタリ・カギ氏からの証言をもとにしている。氏は残念ながらすでに2013年に他界しているが、氏は常日頃から日本に対し深い愛情を持ちながらも、タイヤル族の文化継承と発展に尽力していた。氏の生き方に敬意を払い、その志を受け継ぐために、本サイトを通じて日本の方々にタイヤル族の文化と伝統を広く紹介していきたい。
